師弟愛

以下は、wikiより転載



深見 千三郎(ふかみ せんざぶろう、本名:久保 七十二(くぼ なそじ)1923年3月31日 - 1983年2月2日)は、北海道浜頓別町出身の舞台芸人、演出家、脚本家。ビートたけしの師匠。


深見が最後に取った弟子がビートたけしで、「たけしは長いからタケだ」と言って非常に可愛がった。


当初フランス座のエレベーターボーイだったたけしは、エレベーター内で深見に弟子入りを直訴。「お前何か芸が出来るのか?」と問う深見に返事できないでいると、深見はその場で軽快なタップを踏み始め、「こういうのでも練習するんだな」と弟子入りを許した。その余りの格好良さに、たけしは感動したという。


芸人としての感覚を磨く事にも厳しく、付き人のたけしにも容赦なかった。楽屋で芸人と談笑している時や外を歩いているだけの時など日常生活のなかでも、急にネタを振ったりボケを要求したりして一切気が抜けなかったという。


一方で弟子の暮らしぶりには人一倍気を遣い、たけしにも住まいを始め全て面倒を見た。弟子と一緒に食事する時も自分から酌をしたり、「あれ飲め、これ食え」と自分の事はそっちのけで世話を焼いた。


芸人としての心構えや美意識には厳しかったが、過度に封建的な師弟関係には批判的で、自分の食事中に弟子に給仕をさせたり外で立たせたりする師匠連中を「あんなのは田舎者のやる事、楽しむ時は一緒に楽しめばいいんだ。」と語っていた。


深見は漫才を軽演劇より一段下に見ていたようで、たけしが「漫才で勝負したい」と申し出た時も激怒し、破門を言い渡している。ただ漫才云々と言うよりも、気に入りの弟子が去っていく事の寂しさの方が大きかったと言われている。しかし漫才でメキメキ頭角を現していく姿を喜び、たけしの出演するテレビに見入っていたという。


たけしが久しぶりにフランス座を訪れた時、深見は「何しに来やがった馬鹿野郎この野郎、元気か?」「来るなって言ったろう馬鹿野郎、腹減ってないか?ラーメンでも食うか?」と照れと嬉しさが入り交じった態度で迎えた。

破門を解かれたたけしも忙しい合間に深見をたびたび訪問するようになる。「まるで実の親子のようだ」と言う人もいた。


たけしが1982年度の日本放送演芸大賞を受賞した際、「小遣いだ」と言って賞金を全て深見に渡した。深見は馴染みの飲み屋で「タケの野郎がよ、生意気によ、小遣いだなんて言ってよ」と何度も嬉しそうに語っていたという。失火で亡くなる1ヶ月前の事である。


たけしはフジテレビの『オレたちひょうきん族』収録中、楽屋で深見の訃報を聞いた。しばし絶句した後たけしは、壁に向かい俯きながら無言でタップを踏み始めたという。

深見の葬儀の後、たけしは札幌での仕事へ向かうため羽田空港へ向かった。待ち合わせていた高田文夫に「深見のおとっつぁんもバカだよな。死んだら人が焼いてくれるのに、自分で焼いちめぇやんの」と師匠譲りの毒交じりの一言を口にしたという。上記のタップと併せて、芸人らしい師匠への手向けであった。