学研の学習と科学

小学生の頃、学研の科学と学習をとっていた。
小学2、3年生だったと思う。
7月号に夏休みの読書感想文向けの別冊本が付いていた。
ひらがなが多くて読みづらかったが、こんな話だったと思う。


ちいさいときから、うつけうつけとまわりからよばれていたとのさまのくに、なんばいものへいで、となりのくにが、せめてきた。
かしんたちは、しろでまもることをすすめたが、とのさまはまったくきかない。
そのとのさまは、とつぜんのうをまい、よろいにきがえ、わずかなへいでしゅつげきした。
すると、とつぜんはげしいあめがふる。
まっすぐ、てきのたいしょうめがけてこうげきし、まんしんして、やすんでいたてきのたいしょうのくびをとってしまった。



かの有名な「桶狭間の戦い」である。

読んだ当時私は、作り話だと思った。


あまりにも話が出来すぎている


小学生の高学年になってこれが事実だと知って驚いた。
低学年のころから時代劇が大好きで、昔の人で、一番えらいのは徳川家康だと思っていた。
なにせ江戸時代を作った人だ。
ところが調べていくと、どうやら織田信長のほうが偉いらしい。


(信長と家康は、一応同盟関係だったが、家康は信長に逆らえなかった。
 実際信長の命令で家康は、正室と自慢の優秀な長男の首を差し出したことさえあった。)


実は、私の名前のなかに、「信」の字が入っている。
ちょっと誇らしい気分になった。


それから、高学年になってからまったく勉強をした記憶がないのに、社会の成績は中学生の頃までずっと5だった。


こんなことがあった。
社会の授業中に担任の若い先生がこんなことを言った。


明治天皇は、何歳で即位したか知ってるか?
知ってる人がいたら、通信簿で5をあげるぞ。


教室は、シーンとして誰も手を挙げない。
当時からとても内向的な性格で、めったに手を挙げたことのない私が、手を挙げた。


16歳です


先生は、本当に目を丸くして驚いていた様子だ。
実際に通信簿で5をくれた。
以前に、日本史の人名辞典を読んでいて、たまたま覚えていただけだった。


私が言いたいのは、成績が良かったという自慢話ではなく、
子供は本当に興味を持つと勉強の成績が上がるということ。


その証拠に国語の成績はひどかった。